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鎌倉・大町釈迦堂口遺跡 国史跡 答申 東京新聞 5月22日

2010年5 月22日 (土)

文教常任委員会で何度か報告を受けたことがある大町にある釈迦堂口遺跡について記事が出ておりましたので紹介いたします。

以下、引用開始

鎌倉・大町釈迦堂口遺跡 国史跡 答申 東京新聞・Tokyo Web  2010年5月22日

国の文化審議会は二十一日、鎌倉時代から室町時代にかけての宗教的な建造物跡とみられる鎌倉市大町の「大町釈迦(しゃか)堂口遺跡」を新たに国指定史跡とするよう川端達夫文科相に答申した。今回の指定で、同市の国の史跡、名勝は計三十四件となる。

 同遺跡は、丘陵と谷戸にまたがる約一万五千平方メートル。谷戸は十三世紀後半から十四世紀前半に平地を広げる造成工事がされており、市教委の発掘調査で礎石建物、掘立柱建物やこれに付随する石組み溝、玉石敷き、火葬跡などが確認された。

 調査結果から、谷戸には仏堂などが存在し、宗教的な場として利用されたと想定され、廃寺跡の可能性も出ている。

 また、谷戸の背後の丘陵部には、がけの岩壁を掘った「やぐら」と呼ばれる武士や僧侶の墓所が六十四基もある。壁に掘られた納骨する穴の形が日と月に見えることから「日月やぐら」、壁に地蔵の浮き彫りがある「地蔵やぐら」などが知られ、谷戸での建設と同時期に築造されている。

 審議会では「やぐらと平場の遺構が一体で残っている貴重な場所で、谷戸の開発と祭祀(さいし)信仰の在り方を知る上で重要」と評価された。

 この遺跡は、これまで鎌倉幕府の初代執権で、北条政子の父である北条時政の屋敷跡とされていたが、調査から時政の活動時期より遺跡の築造年代の方が新しく、該当しないことが判明した。

 市は、史跡指定を受け、国などの補助を受けて民有地の遺跡敷地を買い取る方針で、本年度予算に六億二千万円の取得費を計上している。 (斎藤裕仁)

                                                         以上、引用終わり

また、5月18日に市民の方から釈迦堂口切通で観光客が通行していたという話を聞き、現地を視察しました。

釈迦堂口切通は今年4月22日の大雨による土砂崩れにより現在、通行禁止になっております。


SBCA0530 ←南側から撮影 落石が見えます。

SBCA0536 ←北側からの道

南側から落石を見ればとても怖くてあることができませんが、北側からは落石が見えないため観光客の方が入ってしまったと思われます。観光客の皆さん、上記写真をご覧いただき通行しないようにして下さい。

一日も早い復旧が望まれます。

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